高校生の頃
千葉県の教育委員会が発刊する冊子の表紙に選ばれ初めて5000円の図書券で対価を貰ったあの日から絵描きになったと
思っています。
今も昔も
描いている間は飲み食いを忘れ夢中になってしまうので
そろそろ50歳なんだ?
の自分が考えてることを書いてみます。
読まれてる方々が何を背負っているのかはわかりません。
ある程度歳をとれば荷物もなかなか重いですよね。
私も。
でも割愛。
何かしら絵に携わる方々が読まれることを思い描いて書き進めます。
絵を描きたいと志し
勉強して
今も描いている人と
会うことは滅多にないのが実際です。
荷が重すぎるのか
はたまた何か理由があるのかはわからないです。
あれだけ苦労し美芸大へ進学していく人間が
今何をしているのかは謎で
心から不思議でした。
「絵描き」は自己申告です。
絵描きとして社会的義務を果たした時から始まります。
大学を出るとか
高校に行っていない等とは無縁で
自分が精魂込めて描いたものが
僅かな柔らかい収入に代わったその時
実は絵描きになっています。
ところが
世間(≒大人)が黙認している
正当な認識や制度的なあやふやさに加え
得も言われぬ怖さと
認められた自信などが
それぞれ見事な谷間を作っています。
現状
良く分からないまま
画廊、デパートに言われるがまま
描いている人は多いように思います。
そして私ですが
腰がいきなり痛くなりました。
魔女の一撃どころか、変な違和感もないのに、突然でした。
絵を描く以外の仕事は
「疲れたな」
「あと◯時間か」
などと考えていたのに
絵を描き続けている時間について気にしたことがなかった私。
労働と運動に、「絵を描くこと」が含まれていないままでしたので
歳をとっていた身体から激しいシグナルが届きました。
エコ
安価
手際やニーズ
色々なことを気にかける時代。
でも
28年ずーっと腰曲げいたら
気持ちより先に
腰が言うことを聞かない。
そりゃそうか。
高度経済成長期に言われた悍ましい言葉。
「身体が資本」
なんでもかんでも金の時代。
ゴッホも金。モネも金。
私達は本当に
絵を描く事こそが幸せでした。
だからこそ
身体はただの
「基本」
です。